今日を生きる、そして未来と夢に生きるための保険
コーヒーを、夕方に飲んでしまって、明け方まで眠れなかったから、というか、なんだかんだと考えながら、気がつけば夜が明けそうだった。
運命の人といえるのは、人生で、何人いるだろうか?
その時は、状態が、よかったとはいえなかったけれど、巡り会う事で、いろんな苦労や、人生の勉強をさせてもらって、だから、今があるんでしょ、と言えるのだと思う。方向が、全く違う変更をするのは、いろんな面で、簡単にいかない。結論が決まっていたのに、うまく、ゆかなかったのか?決まっていなかったからうまくいかなかったのか?とにかく、このまま前に進んでは絶対にいけない状態だったのだ。
あれから何十年も経ち、今思うと、これも、生まれてからの、筋書き通りなのだとおもう。
つらい思い、苦しいこと、楽しみも、ときめきも、悲しみもあった。喜怒哀楽、フランス語なら、接続法をつかわないといけないと、思う。最後にとても大きな幸せを貰った気がする。それは、長くそれからの時間と、世界があったからか、。
そのときは、なかなか先も見えないし、いまのことでさえ、あまり考えられなかった。
なるほどこういうことなのか、他、人生の醍醐味とはこれだ、なんとかいっているときは、かなり、人生も後半にかかっている。
あなたの船に女神が舞おりてきているのに、それに気づかないでいるのは、もったいない。あなたの船は、泥の船ではなくどこまでも大海原を渡り切る船なのだ。
見渡す限り、物影さえなくても、あなたを迎える港はまっている。ずっと、あなたが、たどり着くまで。今日を、無駄にせず、あなたが、行くべきところ、たどり着くべきところをめざしていれば。
考える力がないときも、忙し過ぎてできない事を、後回しにしていても、あなたが、鞄を忘れても、携帯をどっかにおいてきたときも、終身保障を、すでに
払い済にしていたから、あなたがどこにいて、なにをして、どんな状態であっても、保障があります。そんなことを、おばあちゃんがしてくれていたなんて、大感謝ですね。